半どん夜市は、本町中央通り・一丁目商栄会・帝人通り商栄会において、毎年6月~8月第1週(場合によっては、7月の最終週)までの期間の毎週土曜日開催される夜市です。
現在のような半どん夜市としてはじめられたのは、大正14年7月から、本町2丁目・3丁目を中心にはじめられたといわれています。(三原市制概要より)
半どんの名称の由来は、その昔、時を知らせるために叩かれていた太鼓の音が、平日は、2回「ドン・ドン」と叩かれていたものが、土曜日には、1度だけ「ドン」と叩かれたことから、「半分のドン」半どんとなったといわれています。 今でもその名前が継承され 三原の夜市は半どん夜市と呼ばれています。
商店街の中に、さまざまな夜店が建ち並び、大人から子どもまでたくさんの人出で賑わいます。また、中心市街地の空洞化と商店街衰退傾向にある中、商店街主体事業として、三原市の文化・風物詩と言える伝統ある「半どん夜市」を、更に市民の方へ親しんで頂けるよう、中心市街地からの情報発信として活用しています。
平成15年度には、宮沖商栄会、平成16年には、浮城東通りにおいても、半どん夜市が行われるようになりました。
●開催期間 6月・15日・22日・29日 の土曜日 7月・6日・13日・20日 の土曜日 ●開催時間 18:00~21:00 ●場所案内 三原駅から、西側(広島方面)へ歩いてすぐの本町・帝人通り ●交通規制 17:30~21:30 |
●開催期間 7月27日 の土曜日 ●開催時間 18:00~21:00 ●場所案内 東城別れ交差点を西(広島方面)側に進み、県信三原支店の交差点を左折した宮沖公民館 |
●開催期間 8月 3日の土曜日 ●開催時間 18:00~21:00 ●場所案内 三原駅から東へ徒歩3分。イオン駐車場内 |
現在のような、夜店がはじめられる、きっかけとなったのかもしれない?!お話です・・・。
「三原市本町にある 淡島神社は、稲荷神社とともに成就寺の守り神。
成就寺は小早川隆景の内室(門田御料人慈光院殿)の実父である15代正平の菩提所でもあるため、隆景が三原に城を移したときに一緒に寺を移し、現在の妙正寺の位置に建立された。
浅野家に代が移り、浅野家の菩提寺である妙少寺に移すにあたり、重要地にある成就寺を現在の場所に移し妙正寺をそこへ建立された。
淡島神社はその際、成就寺と一緒に移動したといわれている。
淡島神社の祭礼は、三原の夏祭りの最初として、旧暦の6月2日(新暦7月17日)の晩より行われ、夜店がこの日より開かれる慣わしになっていた。
淡島神社は女神であり、女性の神様として崇められ女性の病気や悩みの解決のためにご利益があり、この地方の女性にはかなり有名であったそうだ。
そのため、遠方からも、たくさの参拝客が訪れたそうで、当時の賑わいは、老婦人によって語り継がれている・・・。
また、淡島祭日には、スモモを売る店がたくさん出て、健康食の梅干作りの人でにぎわったといわれ、この日、初めて浴衣を着て、淡島様へお参りすると、昔の恋人に遭えるといわれている。」
平成14年(2002年)、半どん夜市を主催する地域商栄会、町内会の活動を支援するため、「夜店発展実行委員会」として設置され、平成16年「半どん夜市実行委員会」に名称を変更。平成17年には、三原商栄会連合会が主管する実行委員会として活動を行っています。
上記の3つのコンセプトを基に、三原の夜市としていくため、市内企業のPRを始めとする地域内外の第3者による出店等を促すことにより、更なる出店者、来場者の増加を図り、地域の人々、子どもたちのふれあいの場として夜店を活用するとともに、将来、地域住民と商店街の掛け橋になる催しとなるよう、夜店の発展と円滑な運営等、各種サポート活動を行い、各商栄会、町内会の夜店運営負担の軽減と円滑な相互連絡の窓口として、また、夜店への新規出店募集(チャレンジ出店事業)や、スタッフ・アルバイトなどの人材確保などを行ないながら半どん夜市を運営しています。
実行委員会の取り組みについて説明する
平川委員長(2002年度委員長)
[映像提供:三原テレビ放送株式会社]
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