「神明祭」とは、伊勢神宮を祀る祭りのことをいいます。
この信仰が全国に広まったのは、室町末期で、三原もその頃、この地方の港町として栄えつつあり、当時、九つの町組が寄り合って始めたのが祭りの起こりと言われております。毎年2月の第2日曜日を含む前3日間、東町、館町、本町一帯で行われる神明祭りは、往時には旧暦1月14日に、とんどをまき、神棚を飾り、伊勢神宮の弊を観請し、あちらこちらの店先に翁人形やだるまを飾りつけ、東町、館町一帯に数百の露店が立って、身動きできない程の人出で賑わいました。
三原城を築いた小早川隆景は、この祭りを大切なものとし、瓶子一対を寄進し、近郷より繰り出す景気人出の模様を見て、その年の豊凶を考量されたと言われています。
備後地域の春祭りのさきがけとして、その遺風は現在まで受け継がれています。
期間中、会場周辺は大変混雑が予想されますので、公共交通機関をご利用上お越しいただきますようご協力をお願いいたします。
神明市のシンボルになっている大ダルマ。
平成18年(2006年)には、道路拡張が行われた事により、新しい台座が用意され、高さ4.5mのの位置に大ダルマは設置されます。
平成25年1月、半世紀ぶりに大ダルマは新調され四代目となり、神明市でお披露目されました。
四代目大ダルマは、高さ3.9m、廻り(直径)2.9m、重さ約500kgと少し小さく重くなりました。鉄骨の骨組みに新聞紙やクラフト紙を貼り合わせて、樹脂塗装により色付されています。
今では、神明市そのもののシンボルともいえるこの大ダルマですが、もともとは、東町四丁目町内会が、「だるまくじ」を販売する目印に、昭和25年頃から設置したのがはじまりといわれています。
三原の神明祭は、古式をそのまま残した行事として近郷近在の人達が、われもわれもお詣りする「賑やかしの市場祭」として独特の雰囲気をかもし出す面白さがあり、もとは農具、苗木、種子物などが売られたことにより植木市に発展したと思われ、参詣者の楽しみの一つとなっています。
江戸時代の末頃から、神明市で縁起物として鉢巻きダルマが売られはじめ、別名「ダルマ市」とも言われるようになりました。神明市に集まった人々は家族の数だけダルマを買い求め、その背に一人ひとりの名前を書き入れ神棚に供え、一家円満、開運縁起物として珍重されてきました。
令和3(2021)年から新型コロナウイルス感染症の影響により中止となってしまった三原神明市ですが、少しでもその雰囲気を盛り上げようと、令和5(2023)年に、JR三原駅前広場において、エキマエ神明市が開催されました。その前夜お披露目となったのが、バルーンだるま。
今後、エキマエのシンボルとして、神明市の際に設置される事になりました。
三原では、伊勢神宮の神霊(分霊)を小正月(旧1月14日)の左義長のときに祀っていました。左義長は、正月に飾った松飾りや注連縄などを集めて焼く行事(とんど)で、この日に神明様の祭りを行ったことから、左義長のためにつくる注連山を「シンメイ」と呼ぶようになったと言われています。
神明御山は、正月4日から作りはじめ背の高い竹(高さ九間)を芯にして、正月飾りに用いた松、山草、藁などを利用して長く巻き立てるよう御山を作り頂天に神弊を立て、竹の枝には日の丸扇を吊り、竹の周りに扇の丸を配しその下に若草の丸、梅の丸、紫の丸を順次つけ、竹を配して神の宿る標山として祭られ、極めて神聖なものとして取り扱われます。
(写真は、JR三原駅前の御山 夜間はライトアップされていました。)
※令和5(2023)年移行はバルーンだるまを設置により御山は設置されないことになりました。
神明市では、願いを叶えてくれたダルマを供養する供養塔が設けられます。 神明市にお越しの際は、願いを叶えてくれたダルマを供養塔にお持ちください。
神明大だるま設置 | 2月神明市の前週の水曜日 8:30~ 場所:東町 |
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三原だるまの販売 | 神明市期間中 10:00~16:00 場所:JR三原駅浮城広場・隆景広場 ※売切次第終了 |
植木市・露店商・だるま市・興行 | 神明市期間中 9:00~20:00 場所:本町・館町・東町・東町第一公園 |
三原だるま行列 | 日時:令和6年2月9日(金)14:00~15:00 場所:三原小学校→神明大だるま付近 参加:三原小学校3年生全員(73名) 備考:雨天の場合は三原駅構内で実施予定 |
神明会館特設ステージイベント (神明会館周辺) |
●令和6年2月10日(土) 午前の部10時開演 午後の部13時開演 出演者 ・ジャンボ衣笠(落語) ・ブーゲンビリア(漫才) ・鹿見裕輔(介護芸人) ・ジャグジーけいた(ジャグリング) ・サロン土岐の城(4人組ハーモニカ演奏) ●令和6年2月11日(日) 13時開演 出演者 ・人形時代劇:浮城ものがたり |
三原神麺市 | 神明市期間中 11:00~19:30 場所:JR三原駅前周辺 主催:市民団体 ミハラスパイス/(一社)三原観光協会 |
期間中同時開催の催し | ●イチカラマルシェ
in 本町 日時:令和6年2月9日(金)~11日(日)10:00~17:00(終了時間を修正) 場所:三原市本町 mihola向かい ●プチ神明市(道の駅みはら神明の里) 日時:令和6年2月5日(火)~12日(月・祝)9:00~18:00 場所:道の駅みはら神明の里 物産品販売コーナー ●DARUMART2024 日時:令和6年2月9日(金)~11日(日)9:00~17:00 場所:コワーキングスペース arica ●POP UP Marche IN THE ROOM 日時:令和6年2月9日(金) 1100~16:00 場所:キオラスクエア広場 ●Mihara COME & GO garden 日時:令和6年2月10日(土)・11日(土) 1000~16:00 場所:キオラスクエア広場 |
東町五丁目町内会 有志にご協力いただき、ネーム入りダルマの注文用紙を掲載しています。
左図をクリックし申込用紙をダウンロードして、必要事項をご記入の上ファクシミリによりお申込みください。
お申込みいただいた後、注文確認の電話連絡があります。
※ネームが入れられるのは、10号(3,700円)以上のダルマです。
「願いが成るように」と鳴り物の鈴や小石をいれ、頭が細長く豆絞りの鉢巻をしてるのが特徴です。人のこぶし大のだるまを「にぎりだるま」といいます。神明市でそのだるまを家族の人数分買い求め、だるまの裏にめいめいの名前を書いて神棚に供え、毎朝そのだるまを見て、家人一人ひとりの安全と繁栄を祈ったという言い伝えがあります。
神明市の際に、三原ダルマの販売は、本町中央通り、だるま工房前にて行います。数に限りがありますので、ご希望の方は、お早めにおもとめください。
三原だるまとは?
ここで紹介する神明市については、昭和44年1月28日「三原神明祭について」郷土史研究家 白松克太先生が講演され、東町四丁目町内会会長 定森三郎氏(当時)が記し残したものを、三原神明市協賛会の方が今なお保存されているものです。
神明市の歴史は古く、不明なところも多くあるそうですが、ここで紹介させていただきます。
神明祭というのは神明という言葉からわかる様に、元は伊勢の皇大神宮を中心としたお祭りである伊勢神宮は、皇室の氏神と言われている天照大神戸豊受大神を祀ってあるが、実を言えば神明信仰、伊勢信仰というのはもっと庶民の本当に泥くさいような信仰そのものであった。元を歪められて今日に至ったと私は言いたいのである。何故かといえば初は皇室の氏神であるから皇室だけが守る参拝する、一般の人が弊餅を捧げることはできなかったが、平安朝の末期頃になってだんだん貴族とか領主たちが参拝した。
殊に蒙古来襲の時には、神風がおこったということで一躍有名になり日本鎮護の神様だと言う事になって一般庶民の伊勢参拝が盛んになった。
一番偉い神さん、一番くらいの高い神さんだと、なり、それからは吾々が御願いしたらたちまち願事はかなえてくださるということから庶民的な庶民の神様だと云うことになって一生に一度はお伊勢さんに参拝しなければいけないという所までになった。だからどこまでも庶民の信仰の上にたって発展した信仰であると言える。
ところがこの信仰を全国に広めたのは大衆の信仰に働きかけた人がいたのである。それは伊勢の御師と云うもので云わば神主さん、この下級の神主さんが諸々方々に散らばってこの信仰を広めたわけである。明治維新の際の調査によると、外宮から約500人、内宮から約400人合計900人と云う下級の神主が全国に散らばって夫々の縄張りを受け持って信仰を広めたのである。
三原では小早川氏が本郷に城を構えておったとき御師として下って来たのは外宮の御師武恒という人である。
三原へ直接来たのは内宮の御師白米彦介大夫である。三原の神明祭はこの白米彦介大夫が大きな役割をしている。
御師としての任務は先ず伊勢のお礼を配布することである。このお札には家内安全五穀豊穣と云うことが主体であって此れを各戸に配って歩いた。この伊勢のお札だけは仏教の宗派を超越して日本で第一の神様だということから非常に宣伝が好く聞いて殆どの家でお札をうけたのである。
その次には伊勢講が始まった。頼母子で会員からお金をつなぎ毎年代表者を選んで、伊勢に参拝させると云う仕組みが出来上がった。これが戦国時代非常に盛んであった。江戸時代になっては交通も安全になったので益々伊勢参りが盛んになった。本拠宣長の本にも伊勢参りは年間350万に達したと記されている。とにかく素晴らしいお参りと云うものが出来上がった。
その次にそれだけ発展すると自然に神明所、又は伊勢宮と云うものがその土地に造られるという段階になる之は御師の仕事である。元来御師は伊勢に本拠がある訳で各地区の代表が伊勢参拝するときは御師の家へ落着く訳である。そのような形で発展して今度はその土地に神明社をかくことになる。
三原に於ては東町5丁目(新町)に御伊勢さんが祀られてあるが之は元その少し南側に広場があって此処に伊勢屋と云う一つの大きな旅館があった。その旅館に伊勢神宮が祀ってあったので、その名残が現地の本殿である。
伊勢屋は安政元年から白米と名のり現在に至っている。
神明祭りでは毎年「おやま」が造られる現在新町・駅前・日赤前などに飾られて誰が見ても神明のシンボルということになっている。之はまさしく「とんど」である。
「どんど」なら全国に至るところにある。「とんど」又は「佐儀長(さぎちょう)」と云われるが三原から瀬戸内の島々の神明区域では「おやま」であり然もこの「おやま」が神明の御神体である。
三原の神明にはお宮がない。実はお宮がないのが本当でお宮が出来たのはずっと後の事である。
1970年代頃の神明祭のとんど 三原は古くから港町であって尾道ほどではないが戦国の終わり頃になると今から約500年前に三原の塩が兵庫に送られている。(文安2年)1456年には三原城主杉原四代松丸というのが朝鮮貿易もしている。三原は港町として発展していた訳で小早川が築城する以前からこの神明祭は行われていたのである。
島々や山間部の方々から多くの人が集まり非常に賑やかな祭りであった。初市には氏神様を祀りその氏神様に天照大神をもって来たところに意味があると思う。
面白いことに毎年参拝者には、その年の米の値段はいくらになるか予想相場をたててそれを書き出して置きそれを持ち帰って相場を決めるのである。安芸の厳島では宮島相場というのが極く最近まで続いていた。それと同じようにこの三原付近の相場は神明さんで決めていたのである。
又幕末になると富籤まで発行している。しかもご丁寧に殿様がこの富籤場をわざわざ見に来たというのだから大したものである。
殿様がお祭りになるときは大橋の所に本陣をおき、先ず昼食をされて参拝の順序に従って神明に参拝される。
だから商売繁盛を願って各町は競っていろいろな型の人形、時の流れにあった人形を飾ったものである。
戦前までは素朴なだるまで大きさは高さ8センチぐらいであった。毎年神明さんにお参りして1個ずつ買って神さん棚へお供えしたものだった。家族の一人ずつが皆元気で年を越す事を感謝して、家族の数だけ買って古くなったものは新しく買い換えた。
以上のように古くから町を挙げて盛り上げて来た神明祭の行事の精神を尊重してことからも育てて行って欲しいと念願するものである。
神明市のシンボルになっている大ダルマ。
もともとは、東町四丁目町内会が、「だるまくじ」を販売する目印に、昭和25年頃から設置したのがはじまりといわれています。
神明大ダルマの変遷をご紹介します。
なお、年については不明な部分もありますので、ご了承ください。
※神明大ダルマの写真は三原市歴史民俗資料館所蔵のものです。(無断転載禁止)
写真の利用をご希望の場合は「使用申請」が必要になりますので、三原市文化課(電話:0848-64-9234)までご連絡をお願いします。
昭和25年頃~平成27年 (写真は、S27年撮影)
昭和28年~昭和30年 (写真は、S28年撮影)
昭和31年~平成7年 (写真は、S35年撮影))
平成8年~平成24年 (写真は、H24年撮影)
【気象等メモ】
2003年 中日雨
2007年 初日雨・中日・最終日も午前中雨
2008年 中日雨
2011年 中日雪・雨・強風
2014年 中日大雪
2015年 最終日昼過ぎ雨・突風
2016年 中日雨・最終日突風
2018年 中日雨
2021年 中止
2022年 中止
2023年 中止
2024年 最終日昼過ぎ雨
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